建立年月日 昭和41年(1966年)5月9日
「まがつびよ
ふたたびここに
くるなかれ
平和をいのる
人のみぞここは」
という湯川秀樹の歌をきざんだ碑です。(「まがつび」とは、災害・凶事を起こす神。)
「中間子理論」を確立した日本初のノーベル賞(物理学賞)受賞者湯川博士は、昭和29年(1954年)アメリカの水爆実験に衝撃を受け、以後、世界科学者会議(パグウォッシュ会議)を開催するなど核兵器と戦争の廃絶を訴え続けました。
「私は、真理の探求ということを誇りに思うし、自信を持っているし、私は一生それを貫いてきた。何の悔いもない。けれど、8月6日のあの事件を聞いたときに、科学者は科学者としての自分に対する責任があることを知った。」(湯川秀樹)
少女と子鹿のブロンズ像は、広島県御調町生まれの彫刻家、円鍔勝三さんの作品です。
この近くの碑や施設など
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
嵐の中の母子像
祈りの泉