建立年月 昭和48年(1973年)2月
天神町は市内の繁華街・歓楽街の中心として栄えた中島地区の一角で、南北に細長く、北組・南組に分かれていました。商店街として多くの人が生活する活気あふれる町の様子は、碑と並ぶ「旧天神町北組の跡」という説明板に記されています。
しかし、爆心地からわずか500m、一瞬にして家屋は全壊、住民はもちろん、隣接する町とともに建物疎開地域に指定されていたため、作業に動員されていた中学生や女学生も全員即死したといわれています。
火災は激しく、夕方、肉親を探して戻ってきた人も入ることができなかったといいます。焼け野原と化した町は、戦後、平和記念公園となり、まちは姿を消しました。(南組の碑は、平和大通り南側の元安川河畔にあります。)