禿翁寺は浄土宗の寺院で、慶長年間に紀州和歌山光恩寺の開山、信誉禿翁上人により開基、その後、元和5年(1619年)紀州和歌山から浅野長晟に従って広島入りした弟子の僧、寂誉存的によって紀州の禿翁寺が移されました。起立は寛永年間と知新集にはあります。本尊の木造阿弥陀三尊像は、専門家によって室町時代中期から桃山時代の作と鑑定され、広島市文化財に指定されました。一般の方の拝観はできません。
原爆の爆心から1.5kmにある当寺の境内には、被爆により5体となった等身大に近い石の六地蔵尊、同じく被爆した紅梅やかえで等の被爆樹木があります。