観音寺は真正面に金輪島(かなわじま)、眼下には広島港に出入りする船が見える景観のすばらしいところにあります。寺伝によると、江戸時代初めに桂雲禅師により中興されたとされ、創建以来、毛利輝元、福島正則、さらに浅野氏など代々の藩主の庇護を受けて栄えていたと言います。
本堂前の庫裏(くり)に安置されているこの阿弥陀如来像は、桃山時代から江戸時代初期に造られたものとされていますが、衣文(えもん)などに室町時代の作風を残す本格的な像です。この像の台座は、複合装飾蓮座(れんざ)の典型的なものと言われており、花弁一枚一枚に丸味を持たせ、さらにその花弁を幾重にも重ねた華やかな作りをしています。また、像のうしろに立てられている舟形光背(ふながたこうはい)は、雲をあしらった模様で構成された美しいものです。
阿弥陀如来は西方の極楽浄土で説法をしている仏ですが、鎌倉時代になると、臨終の際には極楽から迎えにきてくれるという考えが広まるようになりました。以来、その来迎の姿を表わした絵画や彫刻が盛んに作られるようになります。その時、来迎にあたっては座っているより立っている姿がふさわしいと考えられたらしく、立像の阿弥陀仏がずいぶん作られたようです。観音寺の阿弥陀像もそうしたひとつで、左右の手の人指し指と親指で丸をつくって来迎印(らいごういん)を示し、体を心持ち前かがみにして左足を少し前に出しているのは、衆生に向かって歩み寄る姿なのかもしれません。
指定年月日:昭和50年(1975年)4月14日
概 要:寄木造、像高75.5cm、台座高48cm