薙刀(なぎなた)は、平安時代末期から室町時代にかけて盛んに使用された武具です。なかには刀身の部分だけで六尺三寸(約1.9メートル)もある大きなものもありました。主に徒歩で戦闘に参加する徒侍(かちざむらい)などの下級武士が使用しました。これは、騎馬武者に対抗する道具として有効であったからでしょう。しかし、時代が下がるにつれて次第に使われなくなり、江戸時代には婦人の武具とされるようになりました。
この薙刀は江戸時代初期に作られたもので、鞘や柄に見られる金梨地塗り(きんなしじぬり)や金具の作りなどに当時の優れた技巧が見られます。刀身部分は、三代播磨守藤原輝廣(はりまのかみふじわらてるひろ)の作です。二代輝廣は福島正則の改易により浪人となりましたが、この三代輝廣は浅野長晟(あさのながあきら)によって再び旧地に住むことを許され、お抱えの刀工となった人です。薙刀の柄や鞘などに浅野氏の家紋が入れられていることを見ても、この薙刀は浅野氏のために三代輝廣が作ったものでしょう。
この薙刀のある國前寺は、明暦2年(1656年)に浅野家二代光晟(みつあきら)とその夫人自昌院(じしょういん)によって菩提所(ぼだいしょ)とされ、庫裏、仁王門などが建立されました。この薙刀は、その際に奉納されたものかもしれません。
指定年月日:昭和58年(1983年)3月24日
概 要:銘 播磨守藤原輝廣作
絡長247cm、鞘長55cm、柄長193.7cm、刀長48.5cm、反り2.5cm