【建立年月日】1976年(昭和51年)8月
【建立者】千田国民学校遺族会
【来歴】5日深夜に空襲警報が発令されたことなどから、千田国民学校(現在の千田小学校)では疎開していない残留児童の始業時刻はいつもより30分遅い9時でした。そのため、被爆時には十数人の児童しか登校していませんでした。一方、高等科生徒(現在の中学1、2年生に相当)は、雑魚場町(現在の国泰寺町一丁目。爆心地から1.2キロメートル)で建物疎開作業に出動中に被爆し全滅したとされています。碑の背面に犠牲となった教師3人、学童41人の名前が刻まれています。
千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶の碑
- 広島市内中心部
- 観光: 平和(被爆建造物・慰霊碑など)