岩国城は、初代岩国領主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。 三層四階の桃山風南蛮造りでしたが、築城後8年で一国一城制により取り壊されました。現在の天守は、昭和37(1962)年に再建されたものです。 桃山南蛮造りの天守閣内に、錦帯橋の精密模型、写真、武具や甲冑などを展示しています。 天守閣は展望台になっていて、岩国市街の眺望を楽しむことができます。 天守閣からは吉香公園、城下町、錦帯橋から岩国市内一面、岩国航空基地、岩国錦帯橋空港、宮島をはじめとした瀬戸内海の島々や四国までが一望できます。また、企画展も不定期で開催されています。
●築城当時の岩国城の規模 城山の尾根沿いに長さ180メートル、横に54-108メートル、石垣の高さ5.4メートル、天守閣は桃山風の南蛮造りと云われ、三層四階で本丸の北隅にそびえていました。この外に矢倉五棟、折り回し大門二門、埋門一門、井戸二掘がありました。横山側の前方を大手とし、御庄後方を摘手として錦川を隔てて北方に安芸境をにらんでいました。 元和元(1615)年6月、徳川幕府の一国一城の制により取り壊しに遭いました。昭和36(1961)年3月、天守閣跡より市内を眺望できる東側へ約50メートル位置を変えて、復元工事に着手、翌昭和37(1962)年に竣工しました。 旧天守閣跡の石垣は、当時の石積み技術のままに修復され、見学することができます。