平和記念公園レストハウス(被爆建物)

  • 広島市内中心部
  • 観光: 平和(被爆建造物・慰霊碑など)
平和記念公園レストハウス(被爆建物)

2020年(令和2年)7月1日、「平和記念公園レストハウス」はリニューアルオープンしました。

【レストハウスの歴史】
レストハウスは1929年(昭和4年)に大正屋呉服店として建設されました。
当時、瓦屋根の木造家屋が建ち並ぶ中で、鉄筋コンクリート造のモダンな外観は中島本町のシンボルとなる建物でした。
目新しさは、建物の構造だけではなく、ショーウィンドウのある1階と2,3階も売場となっており、当時としては珍しく履物を履いたまま上がれるようになっていました。
また、建物の屋上からは市内が一望できました。
戦時体制により、1943年(昭和18年)12月に発令された繊維統制令により呉服店は閉鎖されました。
1944年(昭和19年)6月に広島県燃料配給統制組合が建物を取得し、「燃料会館」と呼ばれるようになりました。

【被爆について】
爆心地から170mにあった建物は、原爆により屋根が押しつぶされ、内部も破損、地下室を除いて全焼しました。
しかし、爆心地の近くでありながら爆心地側に開口部のほとんどない強固な建物だったためか、基本的形態はとどめました。
被爆当日、この建物には37人が勤務していましたが、たまたま地下に書類を取りに下りていた1人を除いて、全員死亡しました。

【現代】
平和記念公園の建設に伴い、取り壊すかどうかの議論がありましたが、1957年(昭和32年)3月に広島市が買収し、東部復興事務所として市の東部地域の復興の拠点となりました。
1982年(昭和57年)からは平和記念公園レストハウスとして整備され、公園の憩いの場となりました。

改修工事(リニューアルオープン)
レストハウスは、平和記念公園内では被爆前の面影を残す唯一の建物であり、その歴史的特性をいかし、被爆の実相を伝え、平和への思いを共有する場となるよう保存・活用を図るとともに、観光客等へのおもてなしを向上させるため、改修工事を行い、被爆75年に当たる2020年(令和2年)7月1日にリニューアルオープンしました。

【各階の概要】
●3階
 展示室1では「中島地区の成り立ちと歴史」、「被爆前の中島地区のにぎわい」、「建物(レストハウス)の歴史」及び「未来への発信・継承」の4つの展示コーナーなどを設け、中島地区の移り変わりやレストハウスの歴史を振り返る写真等を展示しています。
 展示室1の天井では、爆風により崩落した屋根(床スラブ)の一部を見ることができます。

●2階
 休憩・喫茶ホール1では、軽飲食の提供コーナーを設けるとともに、被爆ピアノを展示しています。
 通路の天井では、被爆により損傷した梁を見ることができます。

●1階
 観光案内所を設置するとともに、特産品等の販売を行います。
 通路の天井では、被爆による火災の跡を見ることができます。

●地下1階
 建物内で唯一の生存者であった野村英三氏の手記や被爆当時の様子を描いた絵、被爆直後の燃料会館の写真等を展示しています。
 見学施設として環境を整えるため、新たに床を設置し、室内の段差を無くしています。(部分的に当時の床面を見ることができます。)  

3階
展示室1(資料展示:旧中島地区)
多目的室(一般貸出)
2階
休憩・喫茶ホール1(軽飲食提供)
休憩・喫茶ホール2(一般貸出可)
被爆ピアノ
1階
観光案内及び特産品等販売
地下1階
展示室2(保存展示:地下室)

※ 全フロアで、無料公衆無線LANサービス(HIROSHIMA FREE Wi-Fi)を利用できます。

その他の情報

アクセス情報 広島駅から広島電鉄電車 「原爆ドーム前」または「本通り」下車徒歩3分