本川小学校は、昭和3年(1928年)、本川尋常高等小学校として建設されました。当時、広島市内の公立小学校としては初の鉄筋コンクリート造3階建ての校舎で、L字型に折れ曲がったブロックプランの校舎には、ホールや靴脱ぎ場があり、2・3階からのダストシュートも設けられていました。
さらに1階部分の開口部や正面玄関などにもアーチを取り入れるなど、モダンな造りの校舎でした。爆心地から410メートルで被爆し、その後いく度か補修・改修され、昭和63年(1988年)に平和資料館として開館しました。被爆の実相を後生に伝えるため、原爆の被害を受けた校舎の一部がそのまま保存されており、この建物自体が戦争の悲惨さと平和の大切さを直接訴えています。かつての教師が被爆地から集めた展示品などを見学することができます。
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の中央の石室に刻まれた碑文の元となった書(当時の広島市長・浜井信三氏の依頼により、広島大学文学部教授・雑賀忠義氏が書いたもの)
被害の様子を写した写真や被爆した遺物などを展示
被爆前から平和資料館としての保存までの様子などをパネル等で紹介
地下1階には、平和記念資料館本館に展示されていた被爆時の広島の様子を再現した模型が移設されています。
焼け焦げた配電盤
校庭から掘り出された遺物