爆心地から460メートルの位置にある広島市立袋町小学校(当時袋町尋常高等小学校)は、原爆によって大きな被害を受けました。当時、多くの児童は集団疎開や縁故疎開により被災を免れましたが、残っていた百余名の児童、そして教職員のほとんどが一瞬にして命を失いました。木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原型をとどめ、避難場所や救護所として、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる場となりました。人々は、床に散らばるわずかなチョークで、焼けた壁に伝言を記しました。授業が再開されたのは、昭和21年(1946年)5月でした。
平成14年(2002年)、老朽化した校舎の建て替えに伴い、被爆した西校舎の一部が袋町小学校平和資料館として保存されました。「伝言」の書かれた内壁の一部をはじめ、残された貴重な被爆資料を展示するとともに、被爆後の学校の様子を紹介しています。
壁面に残された、被爆者の消息などを知らせる「伝言」(レプリカ)
伝言文字が残された旧児童館で使われていた教室の黒板の裏側など
被爆により壊れた扉と窓
地下展示室(伝言を残した人の遺族が、肉親の残した伝言と対面するビデオ(12分)を鑑賞できます。)