1871年(明治4年)、明治政府により城郭に鎮西鎮台の第1分営が置かれたことをきっかけに、次第に城郭の周りに軍事施設が集結してきました。
大陸での戦闘に向け鎮台から師団に改編。1888年には第5師団として歩兵11連隊、砲兵隊、騎兵隊などが配備され、基町周辺は一大軍事拠点となりました。
1894年に日清戦争が始まると、本丸に大本営が置かれました。
1945年6月、中国軍管区司令部に昇格。本丸下段には司令官室や参謀部のある1号舎のほか、比治山高等女学校の生徒が宿泊していた宿舎、半地下の防空作戦室がありました。爆心地から790メートルで被爆。半地下の防空作戦室も爆風で破壊されましたが、被害の第1報はここから発せられました。
中国軍管区司令部跡内の様子
中国軍管区司令部跡内の様子
(見学のお申し込みは広島市みどり生きもの協会(Tel:082-228-0811 Fax:082-228-1891)まで。)
◆施設内部見学の中止のお知らせ◆
施設内部は老朽化によるコンクリートの剥離等が進行しており、剥落の恐れがあることから、施設内の見学を中止しています。