広島大学医学部医学資料館(被爆建物)

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広島大学医学部医学資料館(被爆建物)

日露戦争で派兵基地となった広島は、その後も兵員や軍需物資の補給をおこなう基地としての整備が進められていきました。広島陸軍兵器支廠(ししょう)に昇格したことで兵器庫が増設され、1904年(明治37年)から第1?10兵器庫が、1920年(大正9年)から第11?17兵器庫が、2階建てのレンガ造で建てられました。爆心地から2.75キロメートルで被爆。比治山の陰だったこともあり、屋根や窓に被害を生じたくらいで建物に大きな影響はなく、臨時救護所として多くの被爆者の救護が行われました。現在、兵器庫はすべて取り壊されていますが、医学資料館を新築する際に、最後の1棟だった11号館で使用されていたレンガを一部利用しました。外観は当時のままを復元しています。

その他の情報

アクセス情報 広島駅から広島電鉄バス、横川駅または県庁前からは広島バス「広島大学病院」下車