1945年(昭和20年)8月6日、爆心地から3.26キロメートルで被爆した観音寺は、爆風により天井が持ち上がり、瓦が飛ばされ、壁も崩れ落ちてしまいました。境内は被災者の避難所となり、多くの人が避難してきました。徐々に修理を進めましたが、本堂の瓦の半数近くは被爆当時のものが今も使われています。また、本堂前には、爆風で上部がずれたままになっている灯ろうが保存されており、爆風の威力を今に伝えています。
観音寺・本堂(被爆建物)
- 広島市
- 観光: 平和(被爆建造物・慰霊碑など)
1945年(昭和20年)8月6日、爆心地から3.26キロメートルで被爆した観音寺は、爆風により天井が持ち上がり、瓦が飛ばされ、壁も崩れ落ちてしまいました。境内は被災者の避難所となり、多くの人が避難してきました。徐々に修理を進めましたが、本堂の瓦の半数近くは被爆当時のものが今も使われています。また、本堂前には、爆風で上部がずれたままになっている灯ろうが保存されており、爆風の威力を今に伝えています。