爆心地から3.90キロメートルの位置に所在する不動院の地に、最初に寺院が建てられた時期は明らかではありませんが、金堂内に安置されている薬師如来坐像などから、平安時代の終わり頃には、すでに寺が存在していたと考えられています。その後南北朝時代には、足利氏が全国に置いた安国寺のひとつとされ、守護武田氏の保護のもとで栄えましたが、武田氏の滅亡とともに衰えます。これを再興したのが恵瓊であり、毛利氏の使僧として活躍し、豊臣秀吉からも厚い信任を得ていた彼は、その力を背景に安国寺の建て直しを行い、中央の大社寺にもひけをとらない大寺としました。恵瓊亡きあとの安国寺には、福島正則の祈祷師であった宥珍が入り、この時に寺の名を不動院としたと伝えられています。この不動院には、現在も被爆に耐えた金堂(国宝)、鐘楼(重要文化財)、楼門(重要文化財)、不動堂などの建物が残っています。
不動院(被爆建物)
- 広島市
- 観光: 平和(被爆建造物・慰霊碑など)
その他の情報
アクセス情報 | JR広島駅からJR山陽本線「新白島」駅下車、アストラムラインに乗り換え「不動院前」下車徒歩2分 |
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