建立年月日 昭和26年(1951年)11月15日
詩人原民喜は、40歳の時に幟町の生家で被爆しました。前年、最愛の妻と死別していた彼は、孤独と絶望に打ちひしがれながらも、生き残った者の使命として被爆の惨状を伝える作品を書き続けました。
しかし、朝鮮戦争が拡大、トルーマン大統領の「原爆の使用もありうる」との声明などに失望し、昭和26年(1951年)3月13日、東京中央線の線路に身を横たえ自ら命を絶ちました。享年46歳でした。
詩碑は、広島城跡の石垣を背にして建てられていましたが、民喜が亡くなった年の11月に心ない人々の石投げの的とされ、表面の陶板は穴だらけとなり、裏面の銅板も盗まれてしまいました。現在の碑は昭和42年(1967年)7月29日に修復移設されたものです。
「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ堕つ 天地のまなか 一輪の花の幻」
という民喜自筆の詩稿が黒御影石にきざまれています。
この近くの碑や施設など
広島県地方木材統制(株)慰霊碑
動員学徒慰霊塔