建立年月日 昭和30年(1955年)8月5日
爆心地に近いこの付近には、被爆後、遺体が散乱し、また、川から引き上げられたものなど、無数の遺体が運ばれ、荼毘にふされました。
昭和21年(1946年)市民からの寄付により、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、その後10年たった昭和30年(1955年)広島市が中心となり、老朽化した納骨堂を改築し、各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めました。
内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められています。
広島市は、氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨の名簿を毎年公開し、遺族を探しています。昭和30年(1955年)に2,432柱あった遺骨のうち、今でも814柱の遺骨は引き取り手がなく、この供養塔に眠っています。(令和3年(2021年)10月24日現在)
昭和21年(1946年)以後、毎年8月6日にはこの供養塔の前で、さまざまな宗教・宗派合同の供養慰霊祭が営まれています。
この近くの碑や施設など
遭難横死者慰霊供養塔
平和の鐘
平和の石燈
韓国人原爆犠牲者慰霊碑