建立年月日 昭和45年(1970年)4月10日
明治維新以後、朝鮮支配を進めた日本は、明治43年(1910年)の日韓併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。
また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がおり、数万人が広島市内で被爆したといわれています。
「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事にならって、亀を形どった台座の上に碑柱が建ち、その上に双竜を刻んだ冠が載せられています。
碑は、朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという”ゆかり”から本川橋西詰めに建立されました。その後平和記念公園内への移設について各方面 から強い要望が出され、広島市と関係者との協議により、平成11年(1999年)7月公園内に移設されました。
この近くの碑や施設など
原爆供養塔
平和の石燈
被爆した墓石(慈仙寺跡の墓石)