太田川が元安川と本川に分かれるあたりは、慈仙寺という浄土宗のお寺があったことから、「慈仙寺の鼻」と呼ばれていました。そのお寺は爆心地から約 200mで、全ての建物は壊滅、住職ほか2名は清掃中に即死、浴室で洗濯中の住職の妻も重傷で翌日死亡、結局全員死亡しました。
強烈な爆風で境内にあったたくさんの墓石も吹き飛ばされ散乱しました。被爆当時の姿で残されているこの墓(爆心地から約270メートル)は、広島藩浅野家の岡本宮内のものです。
平和記念公園の中で、この墓地だけが被爆当時の地面をそのままとどめています。公園が盛り土して建設されたため、周囲を石で囲んで、池の底のようになってしまったこの部分が当時の広島の地面です。
この近くの碑や施設など
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
平和の泉
平和乃観音像(中島本町町民慰霊碑)