建立年月日 昭和31年(1956年)8月6日
中島本町は爆心地にほど近く、住民はほぼ全滅、458人が犠牲になりました。戦後、この地は平和記念公園となったため、生存者も転地を余儀なくされ、町は姿を消しました。
像の手前には、生き残った町民により結成された中島本町会のメンバーが当時の記憶や米軍撮影の航空写真を頼りに作成した「中島本町被爆復元地図」があり、失われた町への思いと記憶を永遠に伝えようとしています。
この近くの碑や施設など
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
被爆した墓石(慈仙寺跡の墓石)
平和の泉