建立年月日 昭和32年(1957年)8月6日
材木町は、かつて市内の繁華街・歓楽街の中心として栄えた中島地区の一角で、町名のとおり藩政時代には材木問屋が集まり、川沿いでは材木の集散が行われていました。
ゆったりとした住宅街には、広島で一、二を争うほど大きかった誓願寺をはじめ、歴史の古い寺が建ち並び、妙法寺のかさもりさん、安楽院の子安観音など市民に親しまれて、のどかな下町情緒を漂わせていました。
しかし、爆心地からわずか500m、一瞬にして町は壊滅しました。住民はもちろん、隣接する町とともに建物疎開地域に指定されていたため、作業に動員されていた中学生や女学生も多数犠牲となり、無残な姿で死んでいきました。焼け野原と化した町は、戦後、平和記念公園となったため、その姿を消しました。
この近くの碑や施設など
旧天神町北組慰霊碑