木造十一面千手観音立像(附)鋳造阿弥陀如来立像二躯(もくぞうじゅういちめんせんじゅかんのんりゅうぞう)(市指定重要有形文化財)

  • 広島市
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木造十一面千手観音立像(附)鋳造阿弥陀如来立像二躯(もくぞうじゅういちめんせんじゅかんのんりゅうぞう)(市指定重要有形文化財)

この木造十一面千手観音立像のような観音像は菩薩(ぼさつ)のなかでも最も広く信仰されているものであり、標準的な姿をもつ聖観音と多種多様な功徳を具現化しようとする多面多臂(ひ)(顔や手などを人間の姿よりも多く表現する)の変化観音があります。
この仏像も変化観音の一つで、頭上に十一の面をもち、中央胸のあたりに像の大きさと合致する合掌する手を二本配し、やや小さめの手を左右両脇に二十本配しており、そのうちの二本は中央で宝鉢をのせるために手を組んでいます。このやや小さめの左右両脇の二十本、つまり合計四十本はそれぞれで六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六つの苦難にみちた世界)のなかの二十五有界の衆生を救うためのものであり、四十と二十五をかけ合わせて、千手となっているものです。実際に千本の手をもつ千手観音もあります。
また、慈光寺の像には、胎内仏として像高約10cmの阿弥陀如来立像二駆(あみだにょらいりゅうぞうにく)が伝えられ、2つとも銅製で、同一の型で鋳造されたものです。
この木造十一面千手観音立像のある慈光寺のあたりは、古代山陽道が通っており、大塚という地名は13世紀の段階から書状の中に「大墓」の名でみえるなど、古くから歴史の舞台に登場していた地域です。また、同寺の縁起によると、この像は弘法大師の作と伝えられ、近くに存在した岸城の城主大塚四郎兵衛吉国がこの像に感応し、建てたお堂が同寺であると伝えられています。
これらのことから、この仏像はかなり古くから存在したことが充分考えられ、実際に形成技法等は藤原時代後期頃の特徴を示しています。
広島市域内では、藤原時代制作のものが少なく、また、十一面千手観音についてはあまり例をみないことから、大変貴重な文化財といえます。

※観音様と慈光寺は別住所です。

指定年月日:昭和62年(1987年)6月25日
概 要:一木造、像高185cm、台座高14cm 鋳造仏、像高9.8cm(台座を含む)

その他の情報

アクセス情報 広電バス「大塚駅」、アストラムライン「大塚駅」より徒歩12分