矢野城跡(県史跡)

  • 広島市
  • 観光: 歴史・文化
矢野城跡(県史跡)

三入荘の一部(三入新庄)を支配していた熊谷蓮覚(くまがいれんがく)が、南北朝時代の初期に築城したものです。
鎌倉幕府を倒した後、後醍醐(ごだいご)天皇は公家中心の政治を行ったため、倒幕に参加した武士たちはこれを不満とし、建武2年(1335年)足利尊氏(あしかがたかうじ)が中心となって新政府に反旗をひるがえしました。彼の誘いに応じ、安芸国では守護武田氏のもとに毛利、吉川、熊谷などの有力な豪族が集まり、東上する体制を整えました。これに対し、熊谷蓮覚は公家方に味方して矢野城を築き、武田方と激戦を繰り広げました。
蓮覚が矢野に築城したのは、このあたりが後醍醐天皇に関係の深い荘園で、また山陽道に近く、広島湾への出入りを見張ることができる要所でもあり、東上する武田勢を撃つのに適していたためでしょう。
この戦いに蓮覚が敗れた後、文安2年(1445年)に尾張(おわり)国野間荘(愛知県)から野間氏が城に入ります。しかし、大内氏と結び付きながら勢力を広げた野間氏も、弘治元年(1555年)、毛利氏に減ぼされてしまいます。
矢野城は現在、発喜(ほき)山(標高465.9m)の山頂付近、野間神社付近、尾根上などに計16の郭(くるわ)が残っています。

所在地:広島市安芸区矢野町
指定年月日:昭和12年(1937年)5月28日