昭和32年(1957年)9月、通称早稲田山にある早稲田神社再建のための土取り工事中に、東斜面から貝塚が発見されました。貝塚は表土の下1.5mのところにあり、幅約1m、厚さ約30cmばかりの小規模なものでした。しかし、その後の調査で、貝層の下に円筒形に掘った弥生時代の墓が見つかりました。
穴の大きさは、貝層の付近で直径1.5m、底までの深さも約1.5mです。その内部には、本炭片や土器片を含む土が満ちており、安山岩で作られた打製石鏃(せきぞく)(やじり)と人の頭蓋骨やあごの骨が出土しています。これらの骨は、底から70?80cmのところにあり、上層の貝塚の石灰質の影響で部分的に残ったものと考えられています。一方底部の人骨は、湿気が多いことなどから保存状態が悪く、消滅してしまったようです。また底部には、床と壁に沿って河原石や割石が置かれていましたが、これは遺体を安置するための支えだったのだろうと言われています。これらのことから、この墳墓は弥生時代中期から後期頃のもので、埋葬されたのは熟年の男性、遺体は座った状態の屈葬(くっそう)で葬られたのだろうと推定されています。
弥生時代の埋葬法は、一般的には横に寝かせる伸展葬(しんてんそう)で、このような屈葬はあまりなく、県内でも他に例を見ない特異なものです。
指定年月日:昭和33年(1958年)3月13日