熊谷氏の遺跡 高松山城跡(県史跡)

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熊谷氏の遺跡 高松山城跡(県史跡)

承久の変(1221年)で討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められ、その子直時は安芸国三入荘の地頭に任ぜられました。武蔵熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)からこの地に赴任した直時は荘内の防備を固めるために伊勢が坪城を築きました。その後、次第に勢力を増大させてきた熊谷氏は戦略的により優れた高松山に城を築き本拠としました。標高339メートルの高松山はその急峻もさることながら、四囲に対する眺望の良さも大きな利点のひとつであり、これから大きく飛躍しようとする熊谷氏が城を構えるには、まさに絶好の地であったと思われます。
なお、この高松城は熊谷が天正19年(1591年)毛利輝元に従って広島に移るまで、熊谷氏の本城としての役割を果たしました。
昭和53年3月1日 広島市教育委員会
(高松城跡の案内板より)

※県史跡では高松城跡のほか、菩提所観音寺跡(三入一丁目)、土居屋敷跡(三入南一丁目)、伊勢が坪城跡(大林町)を含めた4つを「熊谷氏の遺跡」としています。

その他の情報

アクセス情報 JR可部線「可部駅」、もしくは「可部上市」バス停から徒歩
(高松山山頂)