中野砂走(なかのすなばしり)の出迎えの松(市指定史跡)

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中野砂走(なかのすなばしり)の出迎えの松(市指定史跡)

瀬野川中流の右岸に、「出迎えの松」と地元で呼び親しまれてきた6株のクロマツが並んでいます。
ここはかつて大坂と長崎を結ぶ西国街道(さいごくかいどう)の道筋にあたっていました。西国街道は五街道に次ぐ重要な幹線道路で、沿道の諸大名は五街道にならって、要所に宿駅や茶店を置き、一里(約4km)ごとに一里塚を築き、また松並木を作るなど、その整備に努めました。この「出迎えの松」は、その街道松の名残です。
古代の山陽道は、この松のある中野から北西へ向かい、甲越峠(こうごえとうげ)を越えて安芸郡府中町へ抜け、安古市(やすふるいち)あたりを通って西へ向かっていたと言われています。しかし、広島城が築かれ、城下町が整備された時に海田を通って広島城下へ入る道筋に改められました。
「出迎えの松」は、江戸時代に入ってこの西国街道の整備が進められた時に植えられたと伝えられていますが、現在の松の樹齢は、100~250年と推定されており、最初に植えられたものではなさそうです。とはいえ、現在広島市内で街道松の残っているところは少なく、またこれほどまとまって残っている例は他に見られません。
「出迎えの松」の名は、参勤交代の制度に従い、一年間の江戸勤めを終えて国に帰る藩主が、最後の宿泊地西条四日市を発って広島城下に入る際、留守を預かった家来たちがこの付近まで出迎えたことに由来しているともいいます。

所在地:広島市安芸区中野一丁目の地先
指定年月日:昭和49年(1974年)2月18日