聖光寺(しょうこうじ)

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聖光寺(しょうこうじ)
聖光寺(しょうこうじ)

尾長山の麓にあり、曹洞宗ではかつては万松山瑞川寺(ずいせんじ)と称されていました。創建は明らかではありませんが、僧周尊が毛利元就親子から手厚くもてなされていました。その縁で孫の輝元が天正17年(1589)、広島城を造るために現在の二葉山などに登って城池の位置を検分した際、この寺に泊まったといわれています。その後寺運が衰えて、浅野時代には國泰寺の末寺になったこともあります。その縁で山号を広島山と改められました。

その後昭和50年(1975)、中区小町の大本山總持寺御直末洞景山聖光寺と合併して寺号を聖光寺と改めました。平成元年(1989)、高台に金色に輝く聖光観音の像が建立されました。本堂正面右手の枯山水「洞景苑」には、古銭に擬した円中の判じ文字「吾唯足知(われただたるをしる)」があります。これは釈迦の教えの中にある言葉で、今の自分はこれ以上の我欲を求めてはいけない、との意味です。中庭には、十六羅漢や六地蔵などが安置されています。二葉山七福神の布袋尊者が祀られています。

赤穂義士大石父子供養墓
境内の左手に、赤穂義士大石内蔵助・主税父子の供養墓があります。討ち入りの後、赤穂義士の中で、唯一生き残った寺坂吉右衛門が広島を訪れ、討ち入り成功を広島藩に報告したといいます。この際、持参した大石内蔵助父子の遺髪を赤穂藩の本家広島浅野藩の菩提寺・國泰寺に葬って欲しいと申し出たが、彼らが罪人であるため、瑞川寺(現 聖光寺)に葬られることになりました。

【座禅会】
毎月第2、第4金曜日午前6時から同寺本堂にて実施。

その他の情報

アクセス情報 広島駅新幹線口から徒歩約15分