【建立年月日】昭和26年(1951年)8月6日
【建立者】広島市女原爆遺族会
【来歴】広島市立第一高等女学校(現在の舟入高等学校)職員・生徒は木挽町(現在の中島町。爆心地から500メートル)で建物疎開作業中に被爆し、全員犠牲となりました。戦後、疎開作業場所近くの持明院の住職が犠牲者の遺骨を発見、同院に安置し供養しました。その縁で、1951年に広島市女原爆遺族会により持明院に碑が建立され、1966年同院の現在地への移転に伴い移設されました。なお、この碑と同様に広島市立第一高等女学校職員・生徒の犠牲者を慰霊する碑として、「広島市立高等女学校原爆慰霊碑」(中区)があります。
広島市立高等女学校職員生徒原爆追悼碑
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