毛利氏城跡(郡山城跡・多治比猿掛城跡)

  • 安芸高田市・北広島町・安芸太田町・世羅町
  • 観光: 歴史・文化
毛利氏城跡(郡山城跡・多治比猿掛城跡)

毛利氏城跡は、郡山城跡、多治比猿掛城跡を総称したもので、 昭和15年8月30日に国指定史跡となり、昭和63年2月共に国史跡として追加指定ならびに名称変更されました。 <郡山城跡> 郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、一貫して本拠とした山城です。 城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497?1571)の時には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。 城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。 またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と町が形成されていました。 <多治比猿掛城跡> 多治比猿掛城跡は、明応9(1500)年毛利元就が4歳の時、父弘元に連れられ郡山城から移り27歳で郡山城の宗家相続までの青少年期を過ごした城です。 郡山城跡から北西4kmに位置し前面を多治比川が流れ、本丸の標高は376m、比高120m、本丸の南側には土塁、堀切があります。出丸・物見丸などもあり中世山城の特徴をもつ城跡です。

その他の情報

アクセス情報 郡山城跡の麓までのアクセス
○バス  広島バスセンターから吉田出張所行き(約1時間30分)、安芸高田市役所前下車 徒歩5分
○自動車 中国自動車道「高田インター」から20分
○JR  芸備線向原駅からタクシー20分
※向原駅から吉田へのバスは、日曜日・祝日がお休みです。平日・土曜日は運行していますが、便数が少ないです。