建立年月日 昭和38年(1963年)8月6日
峠三吉は28歳の時、爆心地から3km離れた翠町の自宅で被爆しました。
戦後、青年運動・文化運動を通じ次第に平和運動の先頭に立つようになり、原爆反対、平和擁護の作品を数多く発表しました。朝鮮戦争が始まり、占領軍による原爆反対運動への弾圧が激しさを増す中、トルーマン大統領の”朝鮮戦争に原爆使用もありうる”という声明に抗議し、結核で療養中の国立広島療養所で『原爆詩集』を書きあげました。
『原爆詩集』は昭和26年(1951年)ベルリンの世界青年学生平和祭に、日本の代表作品の一つとして送られ、世界的な反響を与えました。昭和28年(1953年)3月10日、国立広島療養所で死去。享年36歳でした。
碑文には次のような三吉の詩がきざまれています。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉