建立年月日 昭和50年(1975年)8月
広島郵便局(通称本局)は、明治4年(1871年)に広島の通信の中心として開設、明治26年(1893年)に煉瓦造り一部モルタル塗り地上3階、地下1階のモダンな建物を建設、当時は「1に県庁、2に郵便局」と大評判だったそうです。
場所は、島病院説明板(爆心地)と道路向かいの駐車場タワーのある位置で、この三叉路に面して三階建てのモダンな時計塔を持つ正面玄関がありました。
爆心直下だったため、建物は一瞬でつぶれました。内部にいた人たちは光も音も感じる間もなく死亡されたと思われます。その日の夕方には誰とも判らぬ多数の白骨と黒焦げの死体が瓦礫の中に転がっているだけでした。
当時は多数の男性職員が軍隊にとられて、職場を離れていました。原爆の犠牲となった人の多くは、人手不足を補うため採用された女性や学徒動員の女学生、国民学校高等科の生徒たちでした。
碑には「広島郵便局職員二八八名 原爆により殉職」と書かれていますが、平成12年(2000年)の新聞社の調査では、この他にも1人の女学生と育児室にいた8人の幼子の犠牲があったことが判りました。